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「エマ」キターとも言えない内容。 [雑記]

ふらふらと漂っていたら、ちくっと見つけた。

マンガと差別問題「エマ」
マンガの中の差別問題については、表現の自由とのからみで難しいところであります。差別の内容や範囲は時代、地域、体制でいくらでも変わってくる可能性があり、今日OKでも、明日はダメかもしれない。すべての人間は、常に差別をし、かつ差別をされる存在になりうるのです。1989年からの黒人差別をなくす会騒動を考えると、正邪とは別に、現代の表現にはそれなりの慎重さが求められている。
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_ccc5.html


・・・あー、なんかこの記事書いた人「いい人」なんだろうなぁ・・・と。
(勿論、あまり良い意味では「いい人」という言葉を、私は使ってない 工エエェェ(´д`)ェェエエ工)

ビクトリア朝、ひとさらい、アメリカ、そしてこの風貌。これは、この時代のユダヤ人のイメージじゃないのか。(中略)この時代、夜遅くまで外で遊んでいたイギリスの子供たちは、ひとさらいがやって来てアメリカに売られるぞっと、親からおどされていました。(中略)
作中でユダヤとはひとことも書かれていませんが、これは、ユダヤ人に対する悪意を持ったカリカチュアであると言われてもしょうがない。


正直、差別なんてもんはなくならないし、現在と過去ではその基準もころころ変わるしな。
だいたい「基準」って言っちゃったけど、そんなもんもないわな( ´⊿`)y-~~

時代の風俗を描く上で、差別的表現は重要なソースではある。
「エマ」の著者はマニアックな人だし(笑)、ビクトリア期の資料を丹念にあらって、
差別的風土について知らなかったとは思わないけど、知っていたところで
なにが変わるかと言われれば、なにも変わらん。
知らなかったとしても、なにが変わるかと言われれば、やっぱりなにも変わらん。

なぜなら、マンガでは「本当にそういう人がさらってる」わけだから、
マンガの中では現実の事象であって、
読者が「そんなのは都市伝説だ」なんて戯れ言を吐くのは、まったくもってナンセンス。
「エマ」の世界では、「そういう人」が人さらいやってるんだよ。
それを現実世界に持ち込むなと。

なんで、こう「マンガの中の世界」を「現実世界」に持ち込みたがるかね・・・ヽ(´д`)ノ

そんなに2次元に生(行)きたいのかね・・・。

現代、この極東で、かなりの人気マンガがこういう表現をすることが、どういう結果を生むのか。この表現が世界標準ではどうかという視点に欠けている。


「世界標準」なんてくだらないもの、犬にでも食わせてしまえ。


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