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鏡の法則は、現代的な「人の振りみて我が振り直せ」 [雑記]

なんだか方々で話題になっているようで。

鏡の法則(ハンカチを用意して読め!)
友達に教えてもらいました、鏡の法則。
人生の大切な考え方が実話に基づいて物語で書かれているのですが、読んだ人の90%が涙するそうです。(誰が計ったんだろう?でもぼくも涙が噴き出しました)
ぼくはこれを読んで、人間として大切なことを再認識させられました。読むのに10分ほどかかりますが、その時間を投資する価値は大いにあります。
http://www.arai516.com/blog/2006/07/post_e7bc.html


親の因果が子に報い、って感じのお話。
このお話自身は良い話しだ。
一度は目を通しおくのも悪くはない。

さて。

本編は先のサイトで読んで貰えば良いとして。
鏡の法則の中で、

B氏「現実に起きる出来事は、一つの『結果』です。『結果』には必ず『原因』があるのです。つまり、あなたの人生の現実は、あなたの心を映し出した鏡だと思ってもらうといいと思います。例えば、鏡を見ることで、『あっ、髪型がくずれている!』とか『あれ?今日は私、顔色が悪いな』って気づくことがありますよね。鏡がないと、自分の姿に気づくことができないですよね。人生というものが鏡だと考えてみて下さい。人生という鏡のおかげで、私たちは自分の姿に気づき、自分を変えるきっかけを得ることができるのです。人生は、どこまでも自分を成長させていけるようにできているのです。」


という会話がある。

一方で、

『鏡の法則』が残酷過ぎる件について
A子は運が良い。「今まで何もやっていない」から、打ち手が残っている。
既に万策付きましたという人々も沢山いるだろう。
関係修復無理でしたという人や、すでに親は死にましたけどみたいな人って多いだろう。
そういう人々にとって非常に救いの無い話だ。
①親と仲悪い+和解可能
②親と仲悪い+和解不可能
③親と仲良い
結局、この話をいい話だね~と思えるのは、打ち手が残っている①と③の人々。
本当にマズイ状況の②は救えない。
救えないどころか、「オマエラに救いは無い」と言う話だ。
残酷極まりない。
http://d.hatena.ne.jp/rawlow/20060702/p1


こういう視点も存在する。

因果律を絡める人生観とでも言えばいいのか、
それに警鐘を鳴らしているわけだ。

この件で、省みることが出来て自身の生活に役立てられるのであれば、
それはそれで大いに結構だが、
省みようにもその対象がすでに亡くなっている場合、
もはや救いはないと突きつけられ兼ねない、という見方だ。
この思想(と言い切ってイイモノかは疑問が残るのだが・・・)にどっぷり浸かってしまうと、
反対に袋小路に追いつめられるという警鐘は割と的を射ている。

だからこれが合わない場合は、ばっさり切り捨てるくらいのものとして
捉える必要があるというわけだ。


で、話を戻す。

鏡の法則によると、先にも言ったように「親の因果が子に報い」なわけだから、
それを改善できるようにすれば、自ずと現状も改善するように動いていく、というお話。

自己啓発セミナーだとか、新興宗教だとかいう意見も出てるようだが、
そんな大層な話にする必要もあるまいて。

詰まるところ、人間の感覚という奴は人の無意識部分の情報も受け取り、
自身の行動に影響を及ぼしている。

件の話だと、

夫 「俺が心配なのは、お前のほうだ。○○○のことで、ずっと悩み続け
   てるじゃないか。だから、そのことをBさんに相談したんだ。」


明らかに、行動や表情、言動に苛立ちや負の感情が表出していると見受けられる。
そんな母親に果たして子供が相談を持ちかけようとするかどうか、少し考えればわかる。
イライラしてる人に相談したってな・・・ヽ(´д`)ノ

では、何に不満を持っているのか。
それを意識に昇らせて解消させているだけだ。
不満が解消されれば、その人の雰囲気や行動なりに余裕が生まれる。
余裕が生まれれば、今まで気が付かなかった側面にも気が付けるようになる。
子供もそういったことを敏感に感じ取り、相手が相談可能状態になっていることを
無意識に感じ取る。

だから、本来は因果律は関係ない。

もっともまったくの無関係、とまでは言わないけれども。
現在の自分を作り上げたのは過去の自分なわけだから、
その点においては「因果律」=「原因があり結果がある」として
現在の自分があるとも言えるわけだ。


そして、次のポイントは「相手の立場を想定できるようになったこと」なんだろうな。

自分の親の思いを、自分が想像できるようになり、
そこから導き出せる感情をトレースできるようになったわけだ。
そうすれば、自分がどうして欲しかったのかがわかるようになり、
それを実践することで問題を解決できるように動けるようになる。

だから「鏡の法則」という表現は割と良い線行ってる。
因果応報という意味においてではなく、他者の行動を通して
自分の行動を省みるという点においてな。


この話というか法則というかは、誤解を受けやすいかもな、と思った。
「こうしましょう、そうすればすべてうまくいきますよ」
という話ではない
あくまでも、こういうケースもありますよ、という話だ。
だから、なにも因果的に似通ってる過去状況を想定する必要はない。
それを想定していこうとすると自己啓発とかと錯覚されるんだろうな。


最初にも言ったように、そんな大げさな話ではない。
昔から言われていたことを、現代的に焼き直してみた、という感じだ。


 人の振りみて我が振り直せ とな。


つまり、それだけのことだ。大騒ぎする理由がわからん・・・。


ちなみに・・・私は泣かなかった 10% '`,、( ´д`) '`,、・・・・




いつだって小数派・・・。




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コメント 6

煬帝

この話、骨格だけ見ると「先祖の霊を粗末にしてるから災いが」と同じ構造にしか読めないですが。

それ以上に語られてる内容がスカスカで殆ど読むに耐えない。

三文芝居のスクリプトを読まされた気分です。
ゲップ。
by 煬帝 (2006-07-03 14:24) 

チェシャ猫(>_<)。

ゲップを出すほど読み込まないで(つд`
by チェシャ猫(>_<)。 (2006-07-03 15:34) 

玄倉川

日本で「鏡の法則」なるものを広めている中心人物らしい野口嘉則氏みずから「人生のどんな問題も解決する知恵 」だと称してますよ。
http://coaching-m.co.jp/payforward.htm

「鏡の法則」なるものには「人の振り見てわが振りなおせ」という一般的な知恵というより「反省しないと救われない!」と脅迫しているようなカルト臭があります。
by 玄倉川 (2006-07-03 18:25) 

チェシャ猫(>_<)。

・・・ダメぢゃん!(ノд`)アイター
by チェシャ猫(>_<)。 (2006-07-03 18:50) 

まさのり

はじめまして。
偶然ここに辿りついたついでに、書かせていただきます。

私が「鏡の法則」という書籍をたまたま手にとって読んでみた感じ、
第一感としては、
(感動したというよりもむしろ、)
【こういう論調が犯罪やいじめに巻き込まれた被害者に対する被害者バッシングに悪用されたり、間接的に犯罪やいじめを助長しなければいいんだけどね】
ということでした。
(例のその主婦のエピソードはたまたまそうなっただけではないか、こじつけではないのか、本当に因果関係があるのか疑問だ、などという主旨の疑問も出ているようですが、そういうことはこの際置いときます)

というのは、
あの論説も、一種の「原因・結果論」ですよね。
そういう見解を唱える論者(又は、そういう見解を都合のいいときに援用する人間)は、えてして「やったもの勝ち」的な虫のいい考えを他人に押し付ける傾向もわりと強いです(実際、自分もその種の人間をウンザリするほど見聞きしています)。
被害者バッシングなんかそのいい例ですよ。例えば、自分の恋人なり家族なりが街中でいきなり襲われて被害を被って、第三者に「そいつが悪い、そんな時間にそんな道歩いてるから悪いんだ」みたいなことを頭ごなしに言われて「そうですね、その通りですね」と言えますか?

いつだったか、「鏡の法則」の関係者らしき人のブログのコメント欄に、上記と同様の疑問を述べている方がいましたが、
その疑問に対しては、「犯罪被害者の場合はその人と一緒に泣くことくらいしかできない、と著者が述べている」という主旨の回答しかなく、なぜそのような場合にだけそのような結論になるのかという説得的・整合的な理由付けがされていなかった記憶があります。
(そういう点では、論理的であるように見えて実は論理的でない見解ではないのかという印象も持ってしまいました)


そういうこともあって、
【鏡の法則は一見感動的のようにも見えるが、使い方によっては一定の危険(具体的には、一種の「結果責任」を押し付ける危険)を孕んでいる見解だな】
というのが自分の率直な感想ですね。

そもそも責任とは非難可能性をいいますが、
そのことと原因・結果論をゴッチャにしてしまうと、本来非難すべきでないことまで非難して、「やったもの勝ち」の発想を押し付けてしまう危険(ひいては、いじめや犯罪をやる人間とほぼ同レベルの言動をしてしまう危険)があります。
実際にそういうことをする人ってかなり多いと思いますね。自分もその手の人に嫌な思いをさせられたことがかなりありますし。
by まさのり (2011-02-16 16:26) 

チェシャ猫(>_<)。

>まさのりさぬ
>一種の「結果責任」を押し付ける危険

ですなー。
実際、危険を通り超えて利用されてる場合もあるかと思いますな。

そもそも、感動とか感情を押しつけてくる理念なりは、
自己陶酔させて自分を「正義」と勘違いさせる危険性をはらむしねぇ。

と書きつつも、
昔の記事過ぎて記憶がかなり曖昧になってるんだけどな\(^o^)/


by チェシャ猫(>_<)。 (2011-02-16 18:55) 

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